チームN’estについて


ふれあいづくり集団/チームN‘estは、人生を豊かにする様々な体験の場・機会を考え、提供する集団です。

空き家を活用した飲食・食品製造販売等シェアキッチンおよびシェアスペースの企画・運営を妄想しています。

  N'estは「巣」からヒントを得た造語です。

 

・誰かの小さな「挑戦」と「行動」を育てる「巣」になる場所

・次(Next)の時代に、東の端にある私たちの国(East)から考えよう

・最高の(est)の人生にするために

 

 という意味を込めています。


なぜ、N’estを立ち上げたのか?


 チームN'estは、東久留米の小さな空き家を改修したシェアスペース・Onaga Houseから物語を始めます。

 

 忙しい毎日に疲れたとき、ふと思い出すのは自分の故郷や生家です。

 

 思い出が詰まった「家(マイホーム)」を考えたとき、子どもたちを安心して育てるための「巣」ではないかと考えました。

 そして「ここで学び、体験を積み、巣立つ」支援をするシェアスペースにしたいと考えたのです。

 

 かなり長文になりますが、この場で思いをお伝えします。


それぞれの「いい人生」を見つけよう

 昭和世代の私たちが考えていた「いい人生」のモデルは、とても幅の狭いものです。

 いい学校に入り、いい会社に就職し、同じ会社で長く働き、上を目指そう・・・という単線的な人をよしとする風潮があります。

 

 日本は子供たちが人生に対する希望とか期待値がOECD諸国の中で一番低い国になってしまっています。

 それは、いい人生のモデルの範囲がとても狭くて、一部の人しか勝ち残れないという社会イメージを捉えているせいです。

 これは、非常に狭い「いい人生」のイメージが幅をきかせているからであって、そうじゃない人生があるという実感が乏しいからではないでしょうか。

 

 幸せな生き方/いい人生が人それぞれの形で認められる・・・、次はそんな社会になってほしいと考えています。 多種多様な「いい人生」を知ることにより、経済成長しない状態を豊かに生きることができると思います。


「小さく、近い、美しい」社会に

 市場の拡大競争は、際限がありません。

 品質(機能)での差別化はSNSで世界中に広がり、低価格の模倣品ですぐに陳腐化されてしまいます。

 Global競争では、圧倒的な資本で開発・運営しなければ勝ち残ることはできません。

 

 そのような時代を経て「コスパと効率化」の犠牲となり、町であたりまえに生きてきた平凡な人が、平凡な事をして報われる場が姿を消しています。

 町工場は消え、全国の職人が高齢化し日本の伝統的な技術や知恵を手放そうとしています。

 

 しかし、私たちの買いものは「値段」や「機能」ばかりを追い求めていたでしょうか?

 

 町のあの人が揚げたコロッケがおいしいから。

   店員のあの子が一生懸命だから。

 あの人はとてもいい人だから。

    いつもウチで買ってくれるから。

 

 ・・・そんな風に、少し値段が高くても人の顔が見える地域(Local)で「あの人」から買い物をすることはなかったでしょうか?

 

 サービスレベルや品質面での競争に差がなくなってきたから、品質だけではなくコミュニティ力やブランド力(物語力)と「おすそわけ」文化ができるコミュニティの中で「縮充」をめざす時代になりつつあるのではないでしょうか。

 

 となれば、2030年くらいには「小さく、近く、美しい」、そういう社会になっていたらいいなと思います。

 家の近くで仕事し地域の人の顔が見えて、地元で消費する「顔の見える関係による喜びの交換」ができる社会です。

 

 今までの大量生産、大量消費による「大きくて、遠くて、効率的なもの」から、「小さくて、近くて、美しいもの」にお金を使う。

 人生を本質的に豊かにしてくれるものにお金を使う。

 そうすることにより、地域も豊かになり、コミュニティーが再生する。

 

 そんな未来がつくりたくて仕方がありません。


「自分の場所」を見つけるために体験を重ねよう

 

 私たちは、経済成長の時代に「辛く苦しいことを我慢すれば、その先に良いことがある」と学校や職場で教えられ、「いま、この瞬間の幸福」に対する感受性を著しく摩耗させてしまっています。

 

  だから、思考停止状態になってしまって周囲に無関心になってしまっています。

 

  私たちには「幸福感受性を回復させる」ことが必要です。

 

 人から与えられた幸福のイメージ/成功のイメージ/人生のイメージを追求するのではなく、自分が本当に夢中になれることを見つけてほしいのです。

 

 体験の中から「これが自分にとってとても重要なことだ」と気づいてほしいと思います。

 

 時間は「いのち」であり、その源は「人間の豊かさの源泉」となります。

 

 多種多様な生き方を知り非常に狭い成功のモデルから放れて、幸福に生きている人たちをたくさん見ることが、「自分の場所」を見つける上で大切です。

 

 そのうえで、異なる考え方を拒絶するのではなく「遠くのひとに出会う」ことが大切です。

 

 「ここが私の生きる場所だ」と感じるのは、ある種のセレンディピティ(予期せぬ偶然の出会い)であって偶然を引き起こすための他動力が必要になります。

 

 だから、行動と多種多様な人との出会いが必要なのです。

 

 私たちはあまりにも限定され分離された環境で生活してきました。そして自分以外には無関心なまま過ごしてきました。

 

 しかし、同質的な考え方では何がおきるか分からない激動の時代を渡ることはできません。

 

 今まで知り得なかった遠くのひと、遠くの考え方と自分の経験の掛け算が求められているのです。

 


小さな挑戦が大きな変化につながる

 体験を重ねるためにやれることは何だろうと考えると、「少し失敗しながら経験データを積み重ねていくこと」を繰り返すことです。

 

 自分の人生のあり方を1年に10%変えるだけで10年経つと、元の2倍にも3倍にもなります。

 だから、こういう方向に世の中が動いたほうがいいな、こうすれば自分が幸せになるな、と感じたら毎年少しずつでもやめる、あるいは始めてみるのです。

 

 ライフスタイルを大きく変えて全てをいきなり捨てるのではなく、自分の現在の生活習慣の中で「あまり幸福でなく自分の幸福や充実感につながらない」と思うことを少しずつ減らし、「これは幸福につながるかもしれない」と思うことを、少しずつ試してみるのです。

 

 手始めは、「食」からです。

 

 ひとや他の動物とのコミュニケーションをとるのに「飲食」は欠かせません。飲食は本能的に人を結びつけます。そして免疫力や体力、精神にも影響を与えます。

 

 漢字の如く、「食は人を良くするもの 飲は食に欠かせないもの」で、ひとを結びつける何かをしようとするときに、飲食から渦が起きるのではないかと思っています。

 

 日本の食糧自給率は2019年度38%(カロリーベース)しかありません。

 世界人口は増え、日本は人口減となることを考えると、ますます自給率は低下し輸入も継続できるかは不明です。

 近い将来に、自給しなければならない局面も出てくるかもしれません。

 

 その時に必要なのが、知識と体験となります。購買や外食に頼るのではなく、自分で作物をつくり自分で調理するという体験です。

 

 将来訪れる危機に向けて準備が必要で、知識や体験を必要とする人たちがいる一方で知識を提供できる人たちがいます。

 

 独立して事業を始めるのは大きな投資になりますので、知識提供に必要な器具類を全て備えたシェアスペースを作ったら、それほど初期投資も月経費もかかりません。

 

 だから、「試しにやってみて、小さな失敗ができる」場であるOnaga houseをつくったのです。


人生のための学校

 「自分の知識や技術を提供してみたい」というひとが集まって、デンマークの「フォルケホイスコーレ」(人生のための学校)のように生きた知識を学び体験できる場があります。

 

 いまはコーヒーの学校「いりたて珈琲部」しかありませんが、様々な方が集まってフォルケホイスコーレのようにしたいと考えています。

 

 そこで得た知識を実践したければ、日替わりのカフェや雑貨屋があったり、ワークショップが開かれたり、ギャラリーがあったりと、やりたい人のやりたいイメージで使えるようにしたいと思います。

 

 DIY好きが集まって年配の大工さんの指導を仰ぎながら内外装をバージョンアップしよう!というワークショップがあったりすれば自宅の修理にお金をかける必要もなくなるし、もしかしたら古民家をよみがえらせるための基礎技術の取得に繋がるかもしれません。

 

 利用者さん相互で関係を築き、利用者さん同士の縁で意外な活用策が見つかったり、行き詰ったら相談できたら孤独ではなくなります。

 そして、商工会などとと提携して事業計画や経営を学んで独立できる算段ができたらここを巣立っていき、独立後もファンとして応援してもらえたらありがたいです。


複業的に活動する人を増やすことで地域が活性化しないか?

 コロナ渦で最初の非常事態宣言が出たとき、スーパーでトイレットペーパーが姿を消しました。マスクを求めて早朝にドラッグストアで行列する光景を目にしました。

 

 地域コミュニティがあれば仲間の間でシェアすることで買い占めも起きなかったし、朝から行列に並ぶ必要もなかったでしょう。

 

 在宅ワークが増えたとき、地域との結びつきが薄いことに気づきました。

 そして思いました。

 

「空いた時間に複業的に活動する人を増やすことで地域が活性化しないだろうか。」

 

 考えてみれば、地域の個人商店にお金を支払う機会はなかなかありませんでした。

 個人商店は赤字で店を閉め、商店が減れば街に落ちるお金も巡るお金も減り商店街は寂れてしまいます。

 商店が閉じた後には戸建て住宅が建ち、新たな人が住みます。

 

 人は減っていないのに、地域が寂れてしまうジレンマを感じます。

 

 本業を抱える方が複業的に本業のセンスでお店を開いたり、専門知識を提供できたら。

 お互いに交流できる場に人が集まって、町が元気になったら。

 

 小さなプラスのスパイラルが出来て、地元で働けるという選択肢が増え、子ども達を見守る大人が少し増える。そんな地域社会ができないでしょうか。

 

 そして、何か生きにくさを抱える人たちが地域や複業をサポートすることで「できない(限界や制限)」を突破して地域に溶け込めるのではないだろうか。

 

 そうなれば親なきあともやさしく見守る目が増えて、共生(インクルーシブ)な環境になるのではないかと期待しています。